「おかきさげ」シリーズ第8弾
今回は誠は天の理ということについて、理解を深めたいと思います。
誠一つが天の理
今回、解釈する部分は以下の通りです。
「誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。」
「おかきさげ」
誠は神様の思召しに沿うこと
人間の考えで、いくらよいと思っていても、それが神様の思召に沿わなければ自由自在の御守護を頂くことはできません。
「おかきさげ」で示される「誠」を求め、神様の思惑に沿って歩むことで、神様はすぐに受け取り、すぐに守護をすると仰せられます。
おさしづでは
「常に誠という心あれば、その場で天の理が直ぐに受け取る、直ぐに返やす/\。自由自在は、めん/\の日々通る常にあるのやで」
「おさしづ」明治二十一年十一月十一日
日々の自らの通り方に、自由自在の御守護を頂けるポイントがあると仰せられます。そのなかでも「誠」という心が大切であると仰せられます。
日々のなかで、誠の心をどのように表していくのか、これが自由自在の御守護を頂くうえに結びついてくるのです。
誠を聞き分けるということ
誠について「正文遺韻」では、
「まことゝいふは、くちと、心と、手と、この三つが、そろふて、しんのまことゝいふ。それ、いかほどくちで、誠のはなしするとても、しんにまことをさまりあれば、おこなひもそれにそふて、それ、すること、なすこと、にち/\つねに、いかなることも、みな、まことのやうにばかりなるであらう。けれども、心にまことをさまりないと、それ、どうもならん。」
「誠といふこと」『改定正文遺韻』208頁
以前、取り上げた「正文遺韻」の「誠といふこと」の抜粋です。
誠は口と心と行いを揃えること
「正文遺韻」では誠について口(言葉)と心と手(行為)の三つ揃えることが真の誠と説かれています。
誠の話を聞いて、話の理が心に治まれば、誠の話も取り次ぐことができ、行いもそれに沿うようになってくると仰せられます。
この三つを揃えるというフレーズは先人の話の中に多く見られます。
宮森与三郎先生のお話
「誠といふものは心と口と、行と三つそろはにや誠や御座いません、誠の話をするくらひの人は世界を探してごらん、竹杷でかき集めるほどある、いくら誠なことを云ふても、それを実行せねば誠やございません」
宮森与三郎「宮森先生のお話」『みちのとも』大正6年7月
宮森先生の講話のなかでも、「正文遺韻」と同様、心と口と行いと三つそろえるということが強調されます。
高井猶吉先生のお話
「この道は口先や、手先の信心やない。口と心と手と三拍子が揃わなければ誠やない。」
『教祖より聞きし話・高井猶吉ー先人の遺した教話(四)・高井猶久編』高井猶久185-186頁
高井猶吉先生のお話でも口と心と手を揃えるということが強調されています。
誠の心を持ち、誠の話をし、誠の行いをしてこそ誠と仰せられるのです。
あえて言い換えるならば、
人をたすける心を持ち、人をたすける話をし、人をたすける行いということです。
これが神様の示される真の誠であり、これを身に行うことを「聞き分ける」ようにと仰せられるのです。
まとめ
神様は「誠一つが天の理」と仰せられます。
教祖に導かれた先人は、口と心と行いの三つを合わせることが誠であると説かれます。
人をたすける心をもち、柔らか優しい言葉で人をつつみ、人の難儀を手助けしていく。
これが私たちに求められる誠の歩みなのです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。