人を救ける心は真の誠一つの理 ~おかきさげを読む~

おかきさげシリーズ第13弾
今回はおかきさげ最大のポイント「誠」について理解を深めていきたいと思います。

「おかきさげ」本文

「人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。よく聞き取れ。」

「おかきさげ」

 

「おかきさげ」の最大のポイント「誠」

「誠」の集大成がこの一文にあると思います。
人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという
この文は二つの解釈ができるかと思います。一つ目は

人を救ける心は真の誠一つの理によって救けたい人を救けていただける

見返りを考えず、真実を尽くして人をたすけたいという心は、誠のなかの誠と教えられます。

「おふでさき」でも

しんぢつにたすけ一ぢよの心なら
なにゆハいでもしかとうけとる

「おふでさき」3号38

人をたすける心で尽くしきれば、神様にお受け取り(救けて)いただけるのです。
簡単に図解すると、

AさんとBさんがいるとします。

① Bさんが病になっている

② AさんはBさんに救かってもらいたいと思う

③ Aさんは神様にBさんが救かるように願う


④ 神様はAさんのBさんが救かってもらいたいという心を受け取って守護する

⑤ Bさんの病気が救かる

これが人がたすかる基本的な原則になります。


そしてもう一つ、

人を救ける心は真の誠一つの理によって自らも救かる

「おふでさき」に、

わかるよふむねのうちよりしやんせよ
人たすけたらわがみたすかる

「おふでさき」3号47

このように、人の救かりを願うことによって、自らも救かると教えられます。

「おさしづ」では、

「さあ/\人間の誠の心の理が人の身を救けるのやで。さあ/\人の誠の心が我が身救かるのやで。皆々めん/\もこの理を心から聞き取りて、我が身が救かるのやで」

「おさしづ」明治二十一年八月九日(陰暦七月二日)

また、逸話篇にも、

「心配は要らん要らん。家に災難が出ているから、早ようおかえり。かえったら、村の中、戸毎に入り込んで、四十二人の人を救けるのやで。なむてんりわうのみこと、と唱えて、手を合わせて神さんをしっかり拝んで廻わるのやで。人を救けたら我が身が救かるのや。」

「天理教教祖伝逸話篇」「四二 人を救けたら」71-72頁

「それはなあ、手引きがすんで、ためしがすまんのやで。ためしというは、人救けたら我が身救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人を救けたい、救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上は鮮やかやで。

「天理教教祖伝逸話篇」「一六七 人救けたら」279頁

と、日々、人をたすける心で通れば、願う誠の理によって自らもたすけいただくことになると教えられるのです。

たすけるのは親神様

お道でいうおたすけは、人間が人間をたすけるのではなく神様が人間をたすけるのです。
あくまでも、ようぼくはそのお手伝いをさせていただいているという心を忘れてはなりません。
親神様の人だすけのお手伝いをさせていただくのがようぼくの使命であり、ようぼくの喜びは神様のお手伝いにあるのです。

見返りを考えない
今という瞬間を神様と共に生きる
おたすけ心とはここにポイントがあるのではないかと思います。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。