前回「おかきさげ」シリーズで「互いたすけに大切な心」について考えさせていただきました。
今回は前回の補足として、原典を中心に「互い扶け」について考えていきたいと思います。
目次
「おかきさげ」の「互い扶け」おさらい
「互い扶け合いというは、これは諭す理」
「おかきさげ」
と「おさきさげ」で示されるように、「たがいたすけあい」というのは「諭す」ことであると教えられます。
互い扶け=諭す
これは「おふでさき」や「おさしづ」においても一貫してそのように理解することができると思います。
「おふでさき」における「互い扶け」について
『おふでさき』では「たすけ」あるいは「たすける」という言葉はたくさんでてきます。
「たすけ」という言葉だけでも「おふでさき」では、116件もあります。
これらは、親神様が人間をたすけるという直接的な意味合いで使われています。
それに対して「たがいにたすけ」という場合、一般的には人間が人間をたすけるということを意味します。
「おふでさき」では
このさきハせかいぢううハ一れつに
よろづたがいにたすけするなら月日にもその心をばうけとりて
どんなたすけもするとをもゑよ「おふでさき」12号93-94
※下線などは筆者がつけたもの
人間が互いに扶けあいをするところに、親神はどんなたすけもすると仰せられます。
シンプルに言えば、人間が人間をたすけるということを通して、神様が人間をたすけるという意味になります。つまり
互い扶け(人間が人間に働きかける)
↓
神が働く(神様が人間に働きかける)
ということ。
つまり、人間が人間をたすけるということも、厳密にいえば、神が人間を通して人間をたすけるということを意味するのです。
ここに「諭す理」と教えられるポイントがあるかと思います。
「互い扶け」と「ようぼく」のつながり
「たがいたすけ」という言葉は『おふでさき』第十二号と十三号にでてきます。
第十二号のテーマは、
けふの日ハなにのはなしをするならば
よふ木のはぢめ事ばかりゆう「おふでさき」12号14
と仰せられるように、この号から用木の話が展開されていきます。
とてもざっくり言うなら、用木の話が展開される号で「互い扶け」について触れられているのです。
このことから
用木 → 互い扶け → 諭す理
という繋がりがみえてくるのです。
先人へ諭された「おさづけ」の心得
また明治7年、教祖から直接おさづけの理を拝戴された方々は、
五ツいつものはなしかた
六ツむごいことばをたさぬよふ
七ツなんでもたすけやい『稿本天理教教祖伝』125頁
と、教祖からおさづけの心得を示されています。
つまり、おさづけの理を頂戴した【用木】に対して、話の取り次ぎにかかわる内容が示されるのです。
これは現在のおさづけの取り次ぎにも反映されています。
お話の取り次ぎについては、仮席の栞に詳しく説明されているので、興味があるかたは下を参照してください。
おさづけさしづにおける互いたすけ
おさづけをお渡しになられた際のおさしづで、
「これまで互いやと言うて、たすけやい言う。諭すまでや。人を救けるのは真の心が救ける。これから先々長く尽すため、さづけ渡し置こう。」
「おさしづ」明治二十二年六月一日
※下線は筆者がつけたもの
と仰せられます。
このおさしづによって用木の基本となる心得として「互い扶け」ということを示されたことがよく分かります。
「互い扶け」とは「いつものはなしかた」と仰せられたように、神様の話を伝えるということに力点があるということなのです。
まとめ
用木のつとめは、教えの理を伝え心をすます。
それによって親神様の御心をくみとることができるように導いていく。
ここに「おかきさげ」に示される「互い扶け」の世界が具体的に見えてくるのです。
今回はここまで、
最後までお読みいただきありがとうございました。