一れつの人間が可愛い故、人間の成人を促されるため、教祖(おやさま)は現身を隠されました。
さらに、人間の救済をお急き込みになられた上から、教祖は存命のままお働きくださり、これから先も「おさづけの理」をお渡しくださることになりました。つまり、人間をたすけたいという思召から、現身を隠されて、おさづけを渡していくと仰せられたのです。
そのなかで、、、
飯降伊蔵先生を本席を定められることも含めて、いろいろとおさづけを渡される変遷をたどってきました。
別席制度の変遷などについては、後に詳しくすることにして、
今回は教祖が現身を隠された時のことをふりかえりながら、おさづけの理について学ばせていただきます。
目次
教祖がおかくれになったときの人々の気持ち
明治20年陰暦正月26日、教祖が現身をおかくしになられたことは、当時の人々に大きな衝撃を与えました。
「人々は、全く、立って居る大地が砕け、日月の光が消えて、この世が真っ暗になったように感じた」(『稿本天理教教祖伝』332頁)と、大きな衝撃であったことが『教祖伝』に記されています。
神のやしろである教祖が姿をかくされたのですから、当然と言えば当然であります。
なぜおつとめを勤めれなかったのか
教祖が姿を隠される前から、初代真柱様をはじめ、先生方のお心を痛めたことは、おつとめのお急き込みでした。
神様は人間に対しておつとめを勤めることをお急き込みになられていました。それについては十分に理解はしていましたが、おつとめを勤めれば警察がきて、教祖に御苦労をかけてしまうことになってしまう。
神様の思い
⇒おつとめをしてほしいおつとめをする
⇒教祖に御苦労がかかる
この板挟みのなかにあって、ざっくり言うとおつとめをさせていただけないという結果になっていました。
合わせて、教祖にお会いすることも制限されていたので、おさづけの理を頂戴することも困難な状況だったのです。
教祖が現身を隠されたとき
そして、とうとう教祖の尊い寿命をお縮めいただいて、子供の通りやすいようにお姿をおかくしになられるのです。
このとき、初代真柱様はご決心をされて、古老の先生方と談じ合いのうえ、「おつとめの時、もし警察よりいかなる干渉ありても、命捨ててもという心の者のみおつとめをせよ」と仰せられ、一同勇ましく命がけのおつとめをされました。
そして、皆の勇みきったおつとめの結果は、思いもかけない教祖が現身を隠されるという出来事となってあらわれます。
現身を隠されたときの信者の気持ち
一同の不安のなかに「教祖から下さるあのおさづけは、どういうことになるのやろうなあ。あの人だすけのおさづけはもう頂けないのやろうか」という大きな不安が生まれました。そのあと、内蔵の二階に集まり飯降伊蔵先生を通してお伺いをしました。すると、
「さあ/\ろっくの地にする。皆々揃うたか/\。よう聞き分け。これまでに言うた事、実の箱へ入れて置いたが、神が扉開いて出たから、子供可愛い故、をやの命を二十五年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見て居よ。今までとこれから先としっかり見て居よ。扉開いてろっくの地にしようか、扉閉めてろっくの地に。扉開いて、ろっくの地にしてくれ、と、言うたやないか。思うようにしてやった。さあ、これまで子供にやりたいものもあった。なれども、ようやらなんだ。又々これから先だん/\に理が渡そう。よう聞いて置け。」という言葉を頂戴したのでした。
ここで、おさづけの理をお渡しいただくことが明らかになって、先生方も安堵されました。
その後、お道は爆発的に進展する
その後の10年間の間に、天理教の信者数は100倍の進展をみせます。
お道は何によって大きく広がっていくのかといえば、それは教祖存命の働きによって伸びていくわけですが、
存命のお働きは何にのってお働きくだされたのかというと、
その一つは、おつとめの理であり、もう一つは、ようぼくがおさづけを取り次ぎ歩むなかにお働きくだされたと考えることができると思います。
おさづけを取り次ぐことは神様の思召し
陽気ぐらしのひながたとしてお残しくだされた教祖の道は、人を救ける一条でありました。つまり、このお道の生命は人をたすける心にあるといえるのです。
おさづけは他人しか取り次げない
おさづけの理は人を救ける理であります。
ですから、おさづけは我が身に取り次ぐことはできません。
つまり、おさづけの理は他人を救ける理であります。
神様は「人をたすける心は誠真実」と仰せられます。
そして、誠は天の理であるとも教えられます。
つまり、おさづけの理を取り次ぐことは天の理(神様の思召)に沿うということになるのです。
まとめ
天理教の人とはどんな人ですか?と尋ねられるならば、それは人をたすける人とお答えすることが一つの答えであると私は思います。
「人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。」「おかきさげ」抜粋
とお教えいただきますように、
おさづけの理を頂戴したものは、
教祖のひながたにならい、他人のたすけを願うおさづけを取り次がせていただく。
シンプルにこの歩みこそ、他人もたすかり、我が身も救かる道であるとお教えいただくのです。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
さあ、ともに教えを学んで、より良い生活を過ごしてみましょう~☆