別席の誓いについて② ~初試験から誓いの言葉へ~

前回から引き続いて初試験について学ばせていただきたいと思います。

別席の誓いに変更された理由

初試験の内容は、昭和23年1月から「誓いの言葉」に変更されます。

十の神様がいるとの誤解をさけるため

変更された理由、それについては

「従来は別席を運ばれる方の初試験の時に、十はしらの神様のお名前とその御守護を言わしておつたのでありますが、人々の中にはその理をはつきりと心におさめて仰有おつしやらずに、どうかすると丸暗記的な、しかも丸暗記するのみならず今申しましたように、それ/\“独立した十はしらでおられるのだというような考え違いをする向もありますので、真柱様の深い思召によりまして、最近の初試験にはそれらは撤廃されておるのであります。」

『天理教教典稿案講習録』 昭和23年10月28日 天理教教義及史料集成部 146頁より引用

と、第十三回教義講習会場で山沢為次氏が説明されるとおり、お道の話をまだ聞いて十分に理解していない人が誤って、「身の内御話」(十全の守護の説き分け)を十の神様があると思い込んではいけないとの配慮から、初試験は撤廃したと仰せられます。


つまり、

十全の守護の説き分けを初試験で述べさせることは、
誤った理解を与える可能性が高いことから変更されたのです。

この山沢氏の解説に「真柱様の深い思召により」とあります。
では、この変更を真柱様はどのように考えておられたのでしょう。

別席を運ぶ人の変化

二代真柱様は、別席の誓いへ変更した理由として、信仰経歴の面で明治時代と昭和では大きく異なってきたと仰せられます。

元来別席とは、よく道のわかつた人、国々処々で講元とか、小さい乍らも教の心となつている人々に聞かすのが目的でありまして、明治三十年頃の別席話の冒頭にもその旨があります現在に於ては必ずしもそうでなく、昨日道について今日運ぶ人が多いように思います。その上から多少順序内容に於て改めたいと考えていますが、先ず初試験の内容から始めたいのであります。」

『真柱訓話集』第八巻「昭和二十三年年頭会議に於ける御訓話」6頁より抜粋

と、別席を運ばれる方の変化は別席話にも表れていると仰せられます。

別席の台本にも別席者の変化が表れている

上田嘉太郎「別席はおたすけの心を養う場」『あらきとうりよう』260号に、別席のお話で使用される台本『別席台本』について取り上げていますので挙げておきます。

「私が一番驚いたのは、別席の冒頭、前置きに相当する部分の変わりようです。
原行のものは、「御一同様には、元のぢば、元の親里にお帰りなされて、別席の順序をお運びなされますのは、皆それ/\国々所々にてこのお道のお話を聴かして貰い、ほんに成程と心に得心が出来、この上は更に一層道の理を心に治めさせて頂きたいという上からであろうと思いますから、能く心をしずめてお話の理をお聴き下さいませ」となっています。
ところが、明治三十二年の日付のある台本では、「ほんに成程と心に理が治まりて」までは、ほぼ同じなのですが、その後、「何でもこの道に尽くさして貰いたい」と続き、その後、医師も手を離した重病をお道の話を聞いて、身上かりもの、さんげ、たんのう、いんねんといった理も分かり、神様にお詫びをしておたすけを頂き、その御恩に報いるため、あちらこちらへおたすけに行って、講社を組立て、講元とか周旋とかを勤めて下さる人等か、又は、各教会にて役員となっている人か、又その家内の御方々で御座りませうからとなっていまして、今とは全く違うのです。

上田嘉太郎「別席はおたすけの心を養う場」『あらきとうりよう』260号20頁

と、別席を運ばれる方が変化してきていることが、別席台本の冒頭部分に表れていると指摘されています。
二代真柱様はこうした別席を運ぶ人が変わってきた状況をふまえて「順序内容に於て改めたい」とし、「先ず初試験の内容から始めたいのであります。」と述べられたのです。

 

つまり

別席を受ける人の変化によって、
初試験の問題が顕在化した。

この問題を解決するために、
初試験の内容を変更したのです。

 

初試験よりも入信の誓いのほうが妥当

では、具体的に別席の誓いへと改められた理由について二代真柱様は、

「或る一つの事柄をそらんじることのみが胸を治めるかどめであるとも思いません。胸が治まれば自然と頭にのこるものと考えます上から、十全の神、八つのほこりなど列挙することはひとまずあとにして、親神様の思召、教祖様の立場、入信の経路、陽気ぐらしの道をたどる自己の決心、等を申し述べる事により初席にかゝりたいと思うのでありまして、試験よりもむしろ入信の誓と申した方が早く、これによつて別席に進む方法をとりたいのであります。そしておたすけ人衆への先達としてより一層手を取つて導き伸す態度に改めたいのであります。

(『真柱訓話集』第八巻6頁「昭和二十三年年頭会議に於ける御訓話」より抜粋)

二代真柱様は試験を課すことよりも、むしろ別席者自身が自らの心構えを確認することから始めたいと仰せられるのです。


具体的には「別席の栞」に記されている通り、「親神様の思召、教祖様の立場、入信の経路、陽気ぐらしの道をたどる自己の決心」を述べることを入信の誓いとして別席に入ることを提案されました。※「別席の栞」の内容については後日書きたいと思います。

ここまでをまとめると

別席者
昔:信仰が深い人

現在:入信まもない人

と変わってきた。
だから、

初試験によって誤解が生まれる可能性が高まってきた。

初試験より、まずは入信の誓いの方が懇切に導くことができる。

結論
初試験

別席の誓い

ということですね。

「十全の守護」と「八つのほこり」について

ただし、ここでおさえておきたいことは、
「十全の守護」と「八つのほこり」の教えが必要ないってことではないということです。
二代真柱様も、これまで初試験で覚えてきたことは「ひとまずあとにして」と仰せられるのです。
そして最後に「おたすけ人衆への先達としてより一層手を取つて導き伸す態度に改めたい」と、別席を運ばれる人の変化に、道の先達である者が懇切丁寧に別席者を導くことをお促しになっています。

神様のお話でおたすけ

「身の内御話」と「八つのほこり」の説き分けは大事な教えです。
別席を運んだ後に頂戴することができる「おさづけの理」も、その取り次ぐ場面においては、神様の話をお取り次ぎすることが教えれます。かつては、このお話だけでふしぎなたすけをしていたとも伝えらています。

おそらく、初試験で別席を運ばれた人たちは「身の内御話」と「八つのほこり」を必死に覚えたことでしょう。そして、ようぼくになり、おたすけにかかるときには「身の内御話」と「八つのほこり」の説き分けを取り次いだのではないかと思います。

自分が成程と得心した話を取り次ぐ。その話に神様がお働き下されて不思議なおたすけがあらわれてきたのです。

まとめ

おさづけの理を頂戴する者に対して、神様は別席を設けてお話を取り次ぐように仰せられました。そして試験をするように仰せられ、そして別席者の内容が変わることによって試験が誓いへと変更されてと、順次、別席制度は状況に応じて変更されてきました。

しかし、最終的におさづけの理を取り次ぐという目標に変わりはありません。このおさづけの理を取り次ぐために、すべての順序が整備されてきたのですから、ようぼくになるにあたって、何を身に付けるのかは歴史を紐解けば明白であります。

二代真柱様が「ひとまずあとにして」と仰せられた「十全の守護」と「八つのほこり」の教えを身に付けるということが、今あらためて問われているのではないかと思わせていただきます。

今日はここまで、
最後までお読みいただきありがとうございまいた。

ともに教えを学んで、より良い生活を過ごしていきましょう~☆