中山さとゑ氏は、
「おみちに於て、別席は誠に重要な地位を占めるものであります。別席にあつては、元初りの理、ぢばの理、陽気ぐらし、教祖のみちすがら、即ち、元一つの話を静かな場所で聞いて、心の成人をなすことがその目的なのであります。別席を経て、私達は心に成程の理を治め、道のよふぼくとしての第一歩を踏み出すものであります。」
中山さとゑ『別席について』道友社1頁
別席は心の成人をさせて頂くための話であり、その道程においては心に成程と得心することであると記されています。
今回は天理教において重要な地位をしめる「別席」について学ばせていただきます。
特に、
「別席とは何か」
「別席が始まった経緯」
「別席の変遷」に焦点をあてて学ばせていただきます。
別席とは?
『天理教教典』では、
「かくて、引き寄せられて親里に帰り、別席順序を運ぶ。だんだんの席を重ね、話の理によつてほこりを払い、行を正すうちに、心は澄んで、たすかりたいとの願は、たすかつて貰いたいとの念となる。そこに、さづけの理が授けられて、心は生れかわる。さづけの理は、よふぼくたる銘々の心に授けられる天の与えである。このさづけの理が心に治つて、初めて、こうのうを見せて頂ける」
『天理教教典』86頁
おさづけの理は、一名一人に渡される尊い理であります。
この尊い理は、人にたすかってもらいたいという心に授けられます。
そこで別席を運ぶのです。
別席の順序を運び、繰り返し神様の話を聞くことを通して、人をたすけたいという心に入れ替えるのです。
つまり、人をたすける心を治めるために「別席」を聞かせていただくのです。
別席はじまる
この別席は、明治二十一年(1888年)八月二日の「おさしづ」によって、初められることになったと言われています。
「おさしづ」では
「…ざわざわした中ではならん。静かに/\。さあ/\取次一人でしっかり分かる。又一つには取次一つ、又一名一つしっかりと。さあ/\深きの事情と言えば、先に説いて世界はたすけ一条。さあ/\尋ね一条の理は一人で日々の処、さあ/\十分の理を諭して洗い取りてから。事情あらば通さんとは言わん。
押して、深き事情という処、梅谷四郎兵衞より伺
さあ/\一言話して置くで。さあ/\前々の処、一つ余儀無く一つの理上、余儀無く深きの事情という一つの事情、深きの事情は尋ね一条、さあ/\、深きの事情は別段席立てゝ、尋ね一条事情深き事情と。又々一つの深きの事情は、又々一度二度三度まで返やし。又々三度々々返やして運ぶ事情、又深きの理上尋ねるなら渡そうという、事情も聞かして置こう。」「おさしづ」明治二十一年八月二日 午後五時 刻限御話
※下線などは筆者が引いたもの
要約すると、、、
・静かな場所で神様の話を取り次ぐようにすること
・一人の取り次ぎから三度迄繰り返し諭してもらうようにすること
と仰せられます。
別の「おさしづ」では
「明治二十一年八月九日(陰暦七月二日)親様よりおさづけを受けなさる人に、諭しある事を傍にて日々取次致し、めん/\もその理を写したき願
さあ/\心うっとしいてはどうもならん。うっとしい日には何をすれども速やかなる事出けん。この理を一つ聞き分け/\/\。又晴天の日の心を以て何事もすれば、晴天というものは何をすれども、速やかな事が出けるものである。世界中曇り無けねば気も晴れる。速やかなるものである。めん/\も心よりこうのうという理を無けねばならん。晴天の如くの心を定め。この理もよく忘れんよう。
又一つの理
さあ/\順々の道の理を運んで、たすけ一条の理を聞き分けるのが一つの理である。
又
さあ/\遠く所は、一度何度にも向かう。心一つの理によって、互い/\の誠の心がたすけのこうのうの理である。この世の親という理はめん/\の二人より外にある理はあろうまい。その親を離れて何処で我が身が育とうか。親という理が外にもう一人あろうまいがな。皆々々聞いて置け。神の話は見えん先に言うのが神の話や、をやの話や。さあ/\この話の理を忘れんよう。神の話というものは、聞かして後で皆々寄合うて難儀するような事は教えんで。言わんでな。五十年以来から何にも知らん者ばかし寄せて、神の話聞かして理を諭して、さあ/\元一つの理をよう忘れんように聞かし置く。さあ/\それでだん/\成り立ち来たる道。
又一つの理
さあ/\人間の誠の心の理が人の身を救けるのやで。さあ/\人の誠の心が我が身救かるのやで。皆々めん/\もこの理を心から聞き取りて、我が身が救かるのやで。」
「おさしづ」明治二十一年八月九日(陰暦七月二日)
※下線などは筆者が引いたもの
ながーい引用をしたので、まとめますと、
別席は晴天の心になるための順序であると仰せられます。
この話は人をたすける「誠」の心になることで、ふしぎなたすけを頂戴することができるとお諭しくださいます。
このように親神様の積極的な意向をうけて別席の構想が打ち出されたのです。
明治二十一年十月七日の「おさしづ」によって、別席の運び方を三段階に分けることになります。
遠方から帰って来た信者には一カ月に二回運べるなどのご配慮が図られるようになります。
この時は、人間の側から伺ったことに対して取次人の談じ合いに委ねられました。
別席は三席から九席へ
明治二十二年十月十七日(陰暦九月二十三日)の「おさしづ」に「本席の事情だん/\つかえ、別席の処も日々増加するを以て、…」とあります。
別席制度が整うようになり、次第に別席者の数も増えていたようです。
そこで当時の人々は「月一回三カ月に渡って三回運んで満席としていたのを、九カ月で九回運んで満席となるよう」※明治二十二年十月十七日「おさしづ」神様にお伺いをたてられます。
当初はおさづけの理を頂戴できるのも一日三名
「さあ/\いかんで/\、すっきりいかんで/\/\。さあ/\日々三名難しい/\。さあ/\暫くの処はさづけを止める/\。聞かせども/\何遍聞かしても座が崩して/\どうもならん。そこですっきり止めるで/\。止めて了うのやけれども、日に三名、さあ/\日に三名なら、何時でも許す。さあ/\あちらからもどうしてあの型を取ろと思う者があるで。さあ/\あちらからどういう事があるやらと言うてある。見分け聞き分けが難しいと言うてある。所はあちらからもこちらからも、あれをすっきり取りて了もたら/\と、目を付けて入り込む者が間々ある。そこで難しいのやで。何にも外に難しい事は無いのやで。さあ/\暫くの処や。又すっきりと何も彼も許す日があるで。さあ/\すっきり許す日があるで。さあ/\暫くの処やで/\。これを聞き分けて毎夜々々断われば分かるで。その場では言えようまい。そこでこの事きっしようにして、断わるがよい。暫くの処三名と。何にも分からん者はさづけやと言うても、そんな者に渡しては何にも分かりゃせんで。何にもならん。しっかり見分けて実の処を三名やで。しっかり聞いて置け。」
「おさしづ」明治二十二年四月二十七日(陰暦三月二十八日)午前九時 刻限御話
※下線などは筆者が引いたもの
当初、本席(おさづけの理の拝戴)は一日で三人と決められていました。その為、満席となった人がつかえているという状況を助長していたと考えられます。
また、三回という少ない別席の為に、十分に話が心に治まらないまま本席を願い出る人も目立つようになっていました。
しかし、おさづけの理を頂戴したいと願いでる人を無下に扱うことは出来ません。
この状況のなかで、当時の人々は三三九度で一つの理を治めるという現行の九席運ぶ形に変更することを神様に伺われ、神様からの了解(?)をいただいたのでした。
この変更は神様の思召にも沿う
三席から九席に別席の数を増やすという人間側からの申し出ではありましたが、その後の「おさしづ」では、
「さあ/\これまでの席、さあ/\変わる。月々九度の席はどうでもせにゃならん。」
「おさしづ」明治二十三年七月十六日
「そこで九遍という。九遍さえ追うたらよいというだけではならん。同んなじ事九遍聞かしたら、どんな者でも覚えて了う。」
「おさしづ」明治三十一年五月十二日 夜
※下線などは筆者が引いたもの
このように、別席を九席に変更したことは神様の思召しであったことが後の「おさしづ」で明らかになっています。
ここまでのことを整理しておきましょう。
広く「おさづけの理」が渡されるようになります。
↓
多くの人が「おさづけの理」をいただきにおぢばに帰ってこられます。
↓
その中には、あまり神様の話を聞いていない人がいました。
↓
だから神様の話を取り次ぐことになりました。
↓
話の取り次ぎは最初は三回でしたが九回になりました。
補足
遠くから帰ってくる人は一カ月で数回別席を運べるようになりました。
まとめ
誰でも病気やケガに陥るときはあります。
天理教では、それらの出来事は陽気ぐらしの生き方へ切り替えるターニングポイントと教えられます。
おさづけは、神様の守護を頂戴し、たすかる手段としてお教えいただきました。
おさづけを取り次ぐ立場として、おさづけの取り次ぎの際は、神様のお話を取り次ぐように教えられます。
神様のお話と、おさづけの理によって私たちは神様を知り、陽気ぐらしへと近づけていただけるのです。
そういう意味で、別席はおさづけの理を頂戴する前に聞かせていただく単なる通過儀礼的な話ではないのです。
別席は心に治め、後のおさづけの取り次ぎの際、病人やけが人に取り次がれる「おたすけ話」を聴かせていただく大切な席なのです。
その昔、大阪に佃巳之吉という布教者がいました。この方は、
「私は、学問のことは知りません。けれども、人間をつくり、世界をおつくりくだされて、いまも人間をお守りくだされている親神さまの教をお聞きしております。親神さまは世界のことは何でもご存じでございます。その教をお聞きした私でございます。世界のどんなことでも知らんということはありません。どうぞ質問があったら何なりときいてください」
「高野友治著作集」第四巻233頁
と語っていたと言われます。
「親神さまの教をお聞きしております。」
「その教をお聞きした私でございます」
という力強い言葉は、別席のお話の内容が、その裏づけになっていたと思われます。
私たちの信仰は、神様の話を聞くことによって、より深めていただくことができるのです。
別席の話に対してだけでなく、にちにちお聴かせいただく神様の話も、人をたすけさせていただくために聴かせていただくんだ!という心で聴かせていただきたいと思う今日この頃であります。
今日も最後までお読みいただきありがとうございまいた。