理の親切 ~飯降伊蔵先生の逸話より~

みなさん。こんにちは。
いつも「すがけんの天理教のみかた」をご覧いただきありがとうございます。
今回は飯降伊蔵先生の逸話を中心に「親切」ということについて、さらに掘り下げて考えたいと思います。
※前回取り上げたお道の親切については以下をご覧ください。

お道の親切について考える ~飯降先生の逸話より~

2018年1月29日

理の親切を心がけよ

本部の青年勤めをしているもので、夜回りを怠って寝てしまう者もいました。
それが話題になって青年で議論していると、飯降伊蔵先生があらわれて「寝ている者と起きている者と、どっちが悪いと思うか」と尋ねられました。
無論、誰もが寝ている青年が悪いと答えました。
すると飯降伊蔵先生は「そうやないで」とたしなめて、「寝ているのはいんねんのためや。それをかたわらで起きていながら、起こしてやらぬのは、理の親切がないのや」と仰せられたと伝えられています。
青年たちは、「なるほど」「そうやな」と、はたの者がきがついたと伝えられます。

※『天の定規 本席飯降伊蔵の生涯』152頁参照

極端な言い方をすれば、自らのいんねん(運命)を変えることができるのは自分だけです。しかしながら、一言の声掛けによって、他人のいんねん(運命)を変えるお手伝いができるということもこれも事実です。
寝ている者に気が付いたならば、
寝ていることを伝えさせてもらうことで夜回りが務められたはずです。

一言の声掛けによって寝てしまうところを回避するお手伝いができた。
これが「理の親切」であるとお教えいただくのです。

こういった教えを伝える際の逸話は、教祖(おやさま)のご逸話にもみられます。

 

相手に恥をかかさぬように

「一九 子供が羽根を」

「みかぐらうたのうち、てをどりの歌は、慶応三年正月にはじまり、同八月に到る八ヵ月の間に、神様が刻限々々に、お教え下されたものです。これが、世界へ一番最初はじめ出したのであります。お手振りは、満三年かかりました。教祖は、三度まで教えて下さるので、六人のうち三人立つ、三人は見てる。教祖は、お手振りして教えて下されました。そうして、こちらが違うても、言うて下さりません。
『恥かかすようなものや。』と、仰っしゃったそうです。そうして、三度ずつお教え下されまして、三年かかりました。教祖は、『正月、一つや、二つやと、子供が羽根をつくようなものや。』と、言うて、お教え下されました。」
これは、梅谷四郎兵衞が、先輩者に聞かせてもらった話である。

『天理教教祖伝逸話篇』27頁~28頁引用

教祖がおつとめをお教えくだされたときのご逸話ですが、
おつとめの稽古中、お手が違っていても皆の前ではかかすようなものや」と、直接に間違いを指摘されることはなかったと伝えられます。

共通するのは人を思う心

飯降伊蔵先生のご逸話も、教祖のご逸話も二つの逸話に共通していることは、
人を思う心であると思います。

人を思う心があればこそ、ご注意なさるわけで、
その注意の仕方においても、相手のことを考えて恥をかかさぬように配慮されています。

この姿こそ、人を導くもののお手本といえるのではないでしょうか。

 

日々の務めにも人を思う心で接する

こういった姿は、信仰上の人を導く場面だけではなく、
日常の生活のなかにおいても大切な心掛けと言えます。

飯降伊蔵先生が大工仕事をしながら、おやしきに通っておられたときのお話、

仕事先で夕食を戴く時、何分にも只今のような電気やランプのない時分の事だから、薄暗い小燈の周囲で戴くのであるが、その時お粥の中に雨蛙が入っていたことがあったが、本席様はこれを素知らぬ顔で出してしまい、平気で食事を済まされました。これは多数の職人や自分の助手、弟子達の前であったから、蛙が入っているなどと声を立てると、皆の者が気持ちを悪くして食べないし、また雇主の方にも恥しい思いをさせねばならず、またその食物が無駄になってしまうと思われたからである。

植田英蔵『人間本席様』56頁参照

仕事先で夕食をいただいた際、飯降伊蔵先生のお粥に蛙が入っていた。
飯降伊蔵先生は、
周囲の人に嫌な思いをさせないように、
雇主に恥をかかさないように
と、素知らぬ顔で蛙を出してしまい食事を済まされました。

「互い立て合い、扶け合いが、第一でございますによって、少しでも、人のよいよう、喜ぶよう、救かるように、心を働かしていかねばなりません。」(「誠真実」『信者の栞』参照)とお教えいただく通り、人の良いように、喜ぶように心を働かせて歩まれる飯降伊蔵先生は、まさに誠の人そのものであったと言えるのではないでしょうか。

 

まとめ

「寝ているのはいんねんのためや。それをかたわらで起きていながら、起こしてやらぬのは、理の親切がないのや」と、一言の声掛けによって助けられることをおろそかにはせず、さらに、その伝え方の上にも、相手を思う心を忘れないように心がけることが、お道の生き方といえるのではないでしょうか。

いくらことわりの上で正しくても、
相手を思いやる優しい心がなければ、相手にはなかなか伝わらないものです。

教祖や飯降伊蔵先生の逸話がたくさん残っていることは、その一つの証拠といえるのではないでしょうか。

身近な人にこそ、恥をかかさないよう、さりげない言葉がけ、心配りをさせていただきたいものです。

 

さあ、ともに教えを学んで、より良い生活を過ごしてみましょう~☆