前回、飯降伊蔵先生が「本席」という立場に立たれた所以は、おやしきに伏せ込まれたことを神様はお受け取りになったからということが明らかになりました。
※詳しくは以下参照
そこで今回は、
伏せ込みについて、飯降伊蔵先生は入信からどのように伏せ込まれるのかを見つめ、伏せ込みとはどのようなものなのかを学ばせていただきたいと思います。
目次
飯降伊蔵の入信
元治元年(1864)5月、飯降伊蔵妻おさと様は妊娠5カ月で二回目の流産されます。その後、肥立ちが悪くなったところを教祖におたすけいただいたことによって、信仰の道に引き寄せられました。
飯降伊蔵先生としては三度目の結婚ということもあり、「再び伴侶を失うまい」と必死の思いであったことと思われます。
夫婦揃ってひのきしん
そして、教祖に助けていただいた後、助けていただいたお礼として、つとめ場所の建築に取り掛かられます。当時の信者の心が寄り集まったことから話は進み、飯降伊蔵先生の貢献もあって最初は順調にふしんは進んでいました
大和神社事件のふし
しかし、大和神社事件という大きなふしの後、誰もが心を曇らしてしまいお屋敷に人が来なくなってしまいます。
大和神社事件には費用もかかり、ふしんの費用もかさみましたが、伊蔵先生は「決して心配してくださるな」と、色々と工面され、その年の暮れには大体の内造りが出来上がりました。
周囲の方への心配り
約4カ月間、飯降伊蔵先生はおやしきの仕事以外はされませんでしたので収入はなく、おやしきに通い切られた飯降夫婦にとって、弟子たちに食べさせたり小遣いをやらねばならない家計のやりくりは、とても困難であったことは容易に想像できます。
後に教えられる「みかぐらうた」にある通り、
「ふうふそろうてひのきしん」
(十一下り目 二ツ)
「よくをわすれてひのきしん」
(十一下り目 四ツ)
というお言葉の示す通りのお姿であったのではないでしょうか。
人の良いように助かるように
飯降伊蔵先生は周囲の人々が喜ぶように率先してお務めになられます。
人の嫌がる仕事を引き受ける
その後、飯降伊蔵先生はつとめ場所の普請に掛かった費用の返済を待っていただく旨を伝えにまわります。材木屋、瓦屋、方々へまわりましたが、いずれも飯降伊蔵先生の人柄を知っており、信用して快く承知してくれました。
このお姿からは、人が嫌がるようなことを率先して引き受けられる様子が伺われます。
コツコツと身を運びおやしきの御用を務める
その後、九年間にわたって、櫟本の自宅からおやしきに通いつめ、家業を省みることなく、ひたすら神様の御用に専念されます。
年毎の暮という忙しいなかであっても、まずはおやしきへ運び、内外の大掃除をすませて、元旦の準備を整えられてから、はじめて我が家の仕事に取り掛かっていたと伝えられています。
元旦には当時住まいしていた櫟本村から何をおいてもまず、教祖のもとへ年始の挨拶におぢばへ帰り、すぐさま我が家へ引き返して正月を祝い、その足で、またおやしきへ帰ったといわれます。
何はともあれ、まずはおやしきの御用をお務めになられる姿には尊敬の念しか生まれてきません。
物が無い中でも工夫される
ある冬の寒い日、飯降伊蔵先生はいつも通りにおやしきへ足を運ばれました。
※火鉢
そのとき、教祖をはじめ秀司様、こかん様が火鉢を囲んでおられました。「伊蔵さんもこっちへおいで」と招かれて火鉢を囲むと火鉢には墨が入っていません。
「ああ勿体ない…」と物置へ墨を取りに行きましたが、物置には墨も薪もありませんでした。
あまりのことに落松葉を集めて火鉢のなかに火を作られたのでした。そうして工夫して火を作られたことを「伊蔵さんならこそ、こんな寒い晩でもお出でて、お世話くださる」とお喜びになられたということです。
物やお金がないなかでも、知恵をしぼり工夫して、少しでも人に喜んでもらえるように努める様子が伺われます。
まとめ
このように、誠ひとすじの心をおやしきに寄せ、ひたすらに神のご用を務め抜かれた姿こそ、まさに信仰する者の鑑とも言うべき姿と思わせていただきます。
このようにして伏せ込まれた誠真実が、何ものにも代えがたい「本席」という立場になられた元になっているといえるでしょう。
補足、神様に引き寄せられたという面
ただし、、、
飯降伊蔵先生が本席と定められたことは、決して偶然の結果ではなく、神様の深い思召に基づいているとも言えます。
飯降伊蔵先生が妻おさと様の身上たすけを願われに出られたときに「さあさあ、待っていた、待っていた」と教祖がお喜びになっていたということも、さらには、以前から「大工が出てくる、出てくる」と仰せられていた史実と思い合すならば良く解るところです。
こうした点から考えると、飯降伊蔵先生が本席に定められたことには、いろいろな事情があったことも含めて、道につかれる以前から神様の深い思召に根ざしていると言えるでしょう。
この事は後に、扇のさづけや御幣のさづけを頂かれるとともに、教祖の理をうけて神様のお言葉を取り次ぐことを許されておられたこと、更には、教祖の指示により「仕事場」として、教祖のお働きを代行されていた事実からも伺えることです。
しかしながら、飯降伊蔵先生が年々伏せ込まれた人の良いように助かるように行動されたことが台となって「本席」に定められたということに変わりはありません。
「本席」定めは神様の思召通りであり、飯降伊蔵先生の通られた道があったからこそ、定められたのだとお考えいただけたら良いかと思います。
補足が長くなりましたが、つまり、結論としては、
飯降伊蔵先生は、神様に助けていただいたことを忘れず、夫婦揃って周囲の人々に心を配り、人の嫌がることを引き受け、日々コツコツとお屋敷に身を運んでは御用を務め、物がない中でも工夫しては、人の良いように助かるように喜んでもらえるようにお通りになられたことが数々の史実から読み取ることができます。
伏せ込みとは、この飯降伊蔵先生の歩みのなかにたくさんのヒントがあると思います。
おやしき(本部)でつとめる人も、教会でおつとめの人も、また世間でおつとめの人も、同じように飯降伊蔵先生の通られた道を参考ににちにちを通らせていただくならば、神様は手をうって喜んでくださるのではないでしょうか。
今回は伏せ込みについて飯降伊蔵先生の道すがらを見つめて学ばせていただきましたが、とても長くなってしまいましたね。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
さあ、ともに教えを学んで、より良い生活を過ごしてみましょう~☆