立教の目的
天保9年(1838年)10月26日(陰暦)に天理教は始まりました。
そして現在、教えが始まって180年たち、教えが始まった紀元※として「立教」という言葉を採用しています。だから、私たちは立教180年といいます。※歴史上の年数を数える出発点となる年。
立教のとき
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降った。みきを神のやしろに貰い受けたい」
「第一章 おやさま」『天理教教典』3頁 参照
このお言葉が、教祖(おやさま)の口を通して始めて仰せいただいた神様の言葉であると『天理教教典』では記述されています。
この言葉を受けて、中山家の人々は話し合いを重ねて、一家の都合を捨てて、神様の仰せに従うとお応えになられました。
それが、天保9年(1838年)10月26日(陰暦)で、ここから天理教は始まります。
で、ここのポイントは「世界一れつをたすけるために」っという部分ですね。
神様がこの世界に天理教の教えを伝えてくださったのは、「世界一れつをたすけたい」っていう思いから始まったっていうことです。
そして、
この世界が始まった目的について
天理教が始まった天保九年(1838年)からさかのぼって、
九億九万九千九百九十九年まえ、神様はこの世界をおつくりくだされたとお教えいただきます。
今度は世界のはじまりのお話
「この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。」
「第三章 元の理」『天理教教典』25頁 参照
この世界のはじめは、混とんとした泥の海のような世界だったとお教えいただきます。
その世界には神がいただけで、何の楽しみもない世界でした。
そこで、神様は人間を創造し、その「人間が陽気ぐらしをするのをみて」ともに楽しみたいと思いつかれました。
はい。ここがポイントです。
人間を創造した目的は「人間が陽気ぐらしをする」という点です。
だから、私たち人間の生きる目的も「陽気ぐらし」をするってことになるのです。
すべての「もの」には存在する理由がある
話が変わりますが、
物事にはすべて始まりがあります。
例えば、コーヒーを飲むためのコップ
コップの歴史については詳しくしりませんが、
おそらく、つくられた目的は飲み物を口にするためであったと思います。
これと同じように、この世の中にあるすべてのものには、作られた目的が備わっているのです。
その目的にそって、ものが使われることによって、「もの」が存在する理由をまっとうしたといえるでしょう。
この目的に反して道具を使った場合、
例えば、コップを金槌として使えばすぐに壊れてしまうように、目的にそって使わなければ、「もの」は存在している意味を失ってしまします。
つまり「もの」は目的にそってつかうべきなのです。
では、
天理教の目的は?
人間の生きる目的は?
まとめ
「天理教は世界をたすけるために始まった」
「人間の生きる目的は陽気ぐらしをすること」
ということですね。
天理教は世界をたすけるためにある。
そしてそのたすけとは、
人間の生きる目的を明らかにすること。
天理教の提供する「たすけ」には、
人間の生きる目的を明らかにすることとセットになっているのです。
だから「陽気ぐらしの天理教」っていう標語をつかっているのはそのためですね。
今回はこのへんで、
さあ、ともに教えを学んで実行し、より良い生活を過ごしてみませんか☆