おさづけの取り次ぎかた ~仮席の栞を参考に~

今回のすがけんの天理教のみかたは「おさづけの取り次ぎかた」についてです。

前回から引き続き『仮席の栞』を参考にしながら進めたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

仮席の栞について

保護中: 仮席の栞について 

2018年4月30日

 

取り次ぐ際の心得

おさづけの取り次ぎの心得

 おさづけを取り次ぐということは、存命の教祖の手足となって、何よりも尊い人だすけのご用を勤めさせていただくことです。その自覚をもって、それにふさわしい態度でのぞむことが肝心です。

 したがって、服装一つにも気を配り、正装でなくても、必ず清潔なものを身につけるようにしてください。服装を整える間がない急な場合には、まず服装の見苦しい点を親神様にお詫び申し上げて、お取り次ぎしてください。また上座から取り次ぐようにしてください。

 おさづけの取り次ぎにあたっての、心得の要点を次に記しておきますので、よく心に治めて間違えないようにしてください。

天理教教会本部『仮席の栞』11頁

 

おさづけを取り次ぐ姿勢として

①神様の御用を務めるという態度で取り次ぎにあたる

②病人に対して上座から取り次ぐ

とお教えくださいます。

 

服装について

服装は清潔なものを身につけるようにお教えくださいます。
ただし例外として、急を要する場合など服装が乱れているときは、親神様にお詫びを申し上げてから取り次ぎます。

 

おさづけの取り次ぎかた

まずは神様のお話を取り次ごう

(1)お話一条

 まず親神様の御教えを伝え、親神様の日々のご守護についてお話しします。その場合、議論したり、説き伏せたりするような態度ではなく、相手に優しくいたわりながら、また、どうでもたすかってもらいたいという真実の心で、お話をさせていただきましょう。

 症状が重くて意識がない場合、本人には話が通じませんので、家族の人にお話をさせていただきます。そして家族と共に心定めをし、親神様にお願いをして、病人におさづけを取り次ぎます。重い心の病に罹っている人の場合も同様にしてください。

 また、十五歳未満の子供の病気に対しては、親に話をし、親と共に心を定めておさづけは子供に取り次ぎます。

天理教教会本部『仮席の栞』12頁

まず、教えを伝えることから「おさづけ」の取り次ぎが始まります。その際、

・議論しない ・説き伏せない。

・相手をいたわり優しく語りかける。

・たすかってもらいたいという心でお話をする。

という点について心がけることが大切です。お話の取り次ぎについてはまた改めてさせていただきます。

お願いの仕方について

(2)お願いの仕方

お話もすみ、いよいよおさづけを取り次ぐ時には、最初に柏手を二つ打って、まず病人の住所、姓名、年令、病名、いつ頃からお障りをいただいているかということを申し上げ、次にお願いの筋を申し上げてから、真実込めておさづけを取り次ぎます。

 「あしきはらひたすけたまへ天理王命」と三度お言葉を唱えながらお手を振ります。続いて病んでいる個所を「なむたすけたまへ天理王命」と三度唱えながら撫でてさすります。これを三回繰り返して、最後に柏手を二つ打ちます。

 なお、お願いをする場合、時を仕切ってください。もっとも長い仕切りは三日三夜のお願いで、それ以上の長期のお願いはありません。その時、三日のお願いだから、三日に一度取り次げばよいというようなことではなく、できるだけ一日に一度は病人を見舞い、お話をさせていただき、おさづけを取り次ぐことが大切です。

 三日運んでも徴を見せていただけなかった場合には、自らの真実の足りない点を反省し、さらに一層真実の心を込めて、三日三夜の追い願いをします。病状によって、一日一夜、二日二夜のお願いもします。また、急なお願いをする場には、一時間のうちにというように、時間を仕切ってお願いさせていただくこともあります。

天理教教会本部『仮席の栞』12~13頁

さぁ本題のおさづけの理の取り次ぎです。順を追ってみていきますと、

1:柏手を二つ打つ

2:「病人の住所、姓名、年令、病名、いつ頃からお障りをいただいているかを申し上げ、お願いの筋を申し上げてから、真実込めて」おさづけを取り次ぐ

3:お願いは期限を仕切る。(最長で三日)

4:もし、おさづけの徴を見せていただけないときには、追い願いをする。

撫でさする→直接肌近に取り次ぐ

二代真柱様は、おさづけは「病人に対して直接肌近に取次ぐことが定められている(中略)」(中山正善「教理の体系と信仰の様態」『やまと文化』22頁参照)と仰せられています。この点は仮席のお話でも伝えられることであろうかと思います。

 

取り次ぐ際のルール

取り次ぐ場所が複数ある場合

 (3)二カ所以上に取り次ぐ場合

 一人の病人で、病む個所が二カ所以上ある場合、おさづけの取り次ぎは、必ず一カ所毎に取り次ぎます。ただし、柏手は、お取り次ぎの最初と最後に打つだけでよく、中間は柏手を打たず、黙礼して次の個所に取り次ぎます。

 取り次ぐ順序は次の通りです。まず身体の前部から、頭、顔、両手、胸、腹、両足、後部の肩、背中、お尻、というように、上から下へ、また、前から後ろへという順序です。

 なお、両目、または両耳に取り次ぐ時は、いずれも左右同時に取り次ぎます(片方だけの患いの場合には、その方にのみ取り次ぎます)

 両手、両足の場合は、左右別々に取り次ぎます。

天理教教会本部『仮席の栞』14頁

 取り次ぐ場所が二カ所以上の際は一カ所ずつ取り次ぐこと。
なお、取り次ぐ場所を変える際、中間では柏手を打たずに黙礼して次の個所に取り次ぎます。

取り次ぐ場所が複数ある場合、取り次ぐ順番は上から下、前から後ろという順序で取り次ぎます。

なお、目と耳は左右同時に取り次ぎますが、両手、両足の場合は左右別々に取り次ぎます。

一人の人間が取り次いでもらえるおさづけの回数

 (4)おさづけを受ける回数

 一人の病人が、おさづけを受ける回数は、一日六回までです。すなわち、昼間三度(朝、昼、夕)、夜三度(宵、真夜中、夜明け)です。したがって、心易い間柄だからといって、また常に付き添って看護しているからといって、同一人に何度もおさづけを取り次ぐようなことは、おさづけの理を軽んずることになってしまします。

天理教教会本部『仮席の栞』14~15頁

 たすかってもらいたいうえからおさづけを取り次ぐわけですが、一人の人間が受けられるおさづけの回数は定められています。取り次ぐ回数は何度でもOKですけどね。
おさづけの理を受けることは重いものということでしょう。

おさづけは一日で最高六回まで(朝、昼、夕、宵(よい)、真夜中、夜明け)取り次いでもらうことができるとお教えいただきます。

 

まとめ

「おさづけを取り次ぐということは、存命の教祖の手足となって、何よりも尊い人だすけのご用を勤めさせていただくことです」

ようぼくは神様の御用をつとめさせていただく立場です。
仮席はようぼくに対して、これからどのように歩むのかをお諭しいただく席です。
その席でお渡しいただくのが『仮席の栞』です。
この栞においては、ようぼくとしてどのように歩むのかということが記されています。

そのなかでも、今回は主におさづけの取り次ぎかたについてみてまいりました。

読んで改めて思ったことは、『仮席の栞』で示される通りにおさづけが取り次げていないということでした。
下記におさづけの取り次ぎに関するチェックシートを作成したので、いくつ「はい」に〇がつくかをチェックしてみてください。

 

おさづけ取り次ぎチェックシート

質問


服装は清潔でしたか
上座から取り次ぎましたか
まず、病人または病人の家族に
一言の話を取り次ぎましたか
おさづけの最初と最後のみ
柏手を打ちましたか
病人の住所、姓名、年令、病名、
いつ頃からお障りをいただいて
いるかを申し上げ、
お願いの筋を申し上げましたか
お願いの期限を仕切って
取り次ぎましたか
病む場所が二カ所以上の場合、
一カ所ずつ取り次ぎましたか
身体の上から下、
前から後ろという順序で
取り次ぎましたか
目と耳は左右同時、
両手、両足の場合は左右別々に
取り次ぎましたか
一日六回以上
取り次いでいませんか
直接肌に取り次いでいますか。
※直接触れない場合は良い
徴(しるし)を見せていただけなかった
ときに追い願いをしましたか

 

簡単にまとめてみた項目なんですが、、、実に沢山ありますね。
ちなみに、私は昨日のおさづけの取り次ぎを例に〇をつけましたが、九個の〇が「はい」に付きました。
「これがコンスタントにできるのですか?」と問われれば、、、、それはその、、、「はい。その通り。難しい。。。」ですね。

でも、想像してください。
すべての項目がハイに〇がついたおさづけを、、、

自分が取り次いでもらう側なら、とても丁寧なおさづけの取り次ぎだと思えませんか?

これまで、そもそもなぜおさづけを取り次ぐのか、何のために取り次ぐのか、そしてどのように取り次ぐのかをみてきたわけです。

それで私が感じたことは、自分自身、おさづけを取り次ぐってことが軽くなってしまっていて、おさづけの取り次ぎ自体が目的化してたんじゃないかってことなんです

もちろん、おさづけの理は取り次ぐために頂戴したわけです。

ですから、おさづけは取り次がなきゃ頂いた意味がありません。
しかし、だからといって、ただただ自分の判断にのっとて簡易的に取り次ぐということが奨励されて良い訳はありません。

さきほど12個のチェック項目を挙げましたが、これを見て「こんなに沢山あるならやめとこう」という発想になるのであれば、それはまず間違いなくおさづけを軽く扱っているといえるでしょう。
そもそも、この人にたすかってもらいたいっていう気持ちが軽いものであったと言えるのではないでしょうか。

どのように取り次ぐのかは、おぢばでお教えいただいているわけですから、それに合わせてさせていただくのが、おぢばで頂戴したおさづけの使い方と言えるのではないでしょうか。

お教えいただくことを、
一つひとつ丁寧にさせていただく。

おさづけに誠の心をこめて取り次がせていただきたいものですね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。