仮席の栞について 

おさづけの理を拝戴した後に「仮席」という席が設けられています。
その席では「仮席の栞」というテキストが渡されます。
今回は、この「仮席の栞」の内容について学びたいと思います。

仮席の栞

 

『仮席の栞』の構成

『仮席の栞』はB6サイズで合計13ページの小冊子の形になっております。
構成は以下の通りです。

1 おかきさげ 1~4頁
2 おさづけの理 6~13頁
・おさづけの理拝戴の心得
 ・おさづけ取り次ぎの心得
 (1)お話一条
  (2)お願いの仕方
  (3)二カ所以上に取り次ぐ場合
  (4)おさづけを受ける回数
  (5)伝染病の場合
  (6)医者、薬について
  (7)家畜や作物に対する注意

という構成になっています。

『仮席の栞』奥付

奥付を確認すると、

仮席の栞

立教一六二年十月二十六日 初版
立教一六八年六月二十六日 第二版
立教一六八年十月二十六日 第三版

天理教教会本部

と、記されています。
初版と第二版はほぼ同じ形で、第三版は「(5)伝染病の場合(6)医者、薬について」の項目が追加されています。それはまた次回に回すことにして、、、

今回は『仮席の栞』の中でも「おさづけの理」について説明される部分についてみていくことにします。

 

おさづけの理について

まずはテキストを見てみます。

原文

 おさづけの理は、たすけ一条を誓う一日の日の真心に授けられる生涯末代の宝であり、身上の障り(病)で苦しみ悩んでいる人々に、親神様のお働きを頂いて、たすかってもらいたいという上から取り次ぐものです。

いまゝでハやまいとゆへばいしやくするり
みなしんバいをしたるなれども    六・105

これからハいたみなやみもてきものも
いきてをどりでみなたすけるで    六・106

どのよふなむつかしきなるやまいでも
しんぢつなるのいきでたすける    六・108

月日よりしんぢつ心みさためて
いかなしゆこふもするとをもゑよ   六・109

このさきハなんほむつかしやまいても
いきとてをどりみなたすけるで    十二・50

どのよふなむつかしくなるやまいでも
これなをらんとゆうでないぞや    十二・51

と、おふでさきに誌されています。ここで「いき」「てをどり」と仰せられるのは、おさづけの理のことで、今日拝戴されたおさづけの理は、てをどりのさづけです。手を振る時、「あしきはらいたすけたまへ」と唱えますので、あしきはらいのさづけとも言われます。

 これまでは病気といえば、医者だ薬だといろいろ心配したものであるが、これからはおさづけを取り次ぐ者の誠真実と、そのおさづけを受ける者の真実の心を見定めて、どんな重い病気も皆たすける、と仰せになっています。

『仮席の栞』8~9頁

「おさづけの理」の冒頭部分は主に2つに分けられると思っています。
1つ目は「おさづけ」は「たすかってもらいたい」という心でとりつぐもの
2つ目は神様は二人の心を見定めてたすけられるこの二点に絞られると思います。

たすかってもらいたいから取り次ぐもの

重々承知ではあると思いますが、、、、
おさづけの理は「たすかって」もらいたいから取り次ぐものです。

教会の朝夕のおつとめのプログラムの一環でもなければ、単に病人がいるから取り次ぐというものでもないのです。
もちろん病気だから取り次ぐ訳ですが、大切なことは、病気による苦しみを去り、健康となって、「陽気ぐらしへの足取りを進めてもらいたい」という「たすかってもらいたい」という思いで取り次ぐものなのです。この点は忘れてはなりません。

 

二人ともたすかりたいと思わねばならない

おさづけを取り次ぐ者が「この人にたすかってもらいたい」と思うことは当然と言えば当然かもしれませんが、おさづけを取り次がれる人も、同様に人を「たすける心になる」ことが求められます。

しかし、天理教のことをまだよくわからない人にとっては、理解できないことも多々あるでしょう。
しかし、おさづけを取り次ぐ側が「この人にたすかってもらいたい」と思い続けて接すれば、相手の心に自らの心が映り、「たすかりたい」から「たすけたい」という思いへと変わっていくはずです。
ここに、おさづけを取り次ぐものの真実が求められていると言えるでしょう。

 

おさづけの理拝戴の心得

では次におさづけの理拝戴の心得を見ていきましょう。

原文

おさづけの理を拝戴した方には、その日の心を生涯忘れずに通るようにと、「おかきさげ」が渡されます。おかきさげは、よふぼくの生涯の心の定規です。仮席では、まずおかきさげについて、読み違いや悟り違いのないように、そこに込められた親神様の思召を説き聞かされます。おかきさげは、よふぼくとして生涯にわたって心に守るべき角目についてお諭しくだされた親神様のお言葉ですから、暗誦できるまで繰り返し拝読し、心に治めて、実行することが肝心です。

 おかきさげのなかで、とくに強調されていることは、親神様・教祖のお心、すなわち一れつ人間をたすけたいとの思召を、わが心とするということです。「人をたすける心は真の誠」と教えられます。この心を生涯持ち続け、人だすけの上に勤めていくところに、わが身もたすかるという姿をお見せいただけるのです。「たすける理がたすかる」と仰せになっている所以です。
 したがって、おさづけの理を戴いたというだけで、取り次がなかったならば、おさづけの理をお渡しくだされた親神様の深い親心にお応えすることができません。おさづけの理には、一れつ子供(人間)可愛い故に、定命を二十五年縮め、現身を隠されてまで世界たすけをお急き込みくだされた教祖の篤い親心が込められているのです。親神様・教祖のお心に添って取り次がせていただく時、願う心の誠真実を受け取って、どんな思い病気も皆おたすけくだされます。
 おさづけの理は道の路銀ともお聞かせいただきます。
 私たちよふぼくが、たすけ一条の上から出向くところ、たとえどんな遠隔の地、どんな不便な所であろうと、教祖は必ず先回りしてお働きくだされ、不思議なたすけをお見せくださっています。生涯かけておさづけを取り次ぎ、たすけ一条を急き込まれる教祖の思召に応えさせていただきましょう。

『仮席の栞』9~11頁

ここでは主に二つに分けて説明したいと思います。
まずは「おかきさげ」について
そして「おさづけ」は「道の路銀」ですね。

 

「おかきさげ」は「心の定規」

まず「おかきさげ」についてみていきましょう。
「おかきさげは、よふぼくの生涯の心の定規です。」と、「おかきさげ」はようぼくが生涯にわたってどのように生きるのかを定めた「心の定規」であると教えられます。

 

 

心の定規ですから、「おかきさげ」は自分の心と照らし合わせるものと教えられるのです。逸話篇の「三一 天の定規」のお話にある通りですね。詳しくは以下のページ参照

「朝起き、正直、働き」 ~特に「正直」について~

2017.05.26

 

「おかきさげ」の要点

「おかきさげ」は心の定規です。
この心の定規において一番強調させれている点、
それは「人をたすける心」になるということです。
これは人間をお創りになられた親神様、教祖のお心であります。
そして、この心に近づくことが信仰の上で大切であると「おかきさげ」で示されるのです。

「おかきさげ」では、「人をたすける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという」と教えられます。
生涯にわたり、人だすけの上に勤めていくところに、結果的に自らもたすかるという姿をお見せいただけるのです。

 

「おさづけ」は取り次ごう

人をたすける理としてお渡しいただいた「おさづけの理」ですが、取り次がなくては神様の思いに応えることはできません。おさづけの理はもらえば終りというわけではないのです。ここからがスタートなのです。

教祖が25年の定命を縮めてまでお渡しになられた「おさづけ」です。
教祖の思いに応えるためにも、にちにちおさづけを取り次ぎたいものです。

 

「おさづけ」は道の路銀

おさづけは道を歩むうえでの「路銀」と言われます。
「路銀」とは旅費のことで、ここでいう「道」とは信心のことです。

教祖が先回りをしてくださって病人と出会います。そしてようぼくとしておさづけを取り次がせていただく。
このようにして「おさづけ」を取り次ぐ人生を歩むうえに必要なものを、総じて「路銀」と表現されているのだと思います。

 

まとめ

教祖は私たちが出向くところは先回りをして待ってくださっています。『おふでさき』に、

たん/\とよふぼくにてハこのよふを
はしめたをやがみな入こむで   一五・60

このよふをはじめたをやが入こめば
どんな事をばするやしれんで   一五・61

「おふでさき」

ようぼくの「この人をたすけたい」という誠真実の心に神が入り込み、ふしぎなご守護を見せられるのです。このふしぎなたすかりによって、人間は親神様の存在を信じられるようになるのです

「…多くの中不思議やなあ、不思議やなあと言うは、何処から見ても不思議が神である。…」

「おさしづ」明治三十七年四月三日

「不思議が神」と仰せれます。ここにお道が拡がりを見せるもとが示されるのです。
繰り返しになりますが、「ふしぎ」を引き出すのはようぼく一人ひとりの「人をたすける心」にかかっているのです。

今日はここまでにします。

最後までお読みいただきありがとうございました。