成程の人というは、常に誠一つの理で自由という ~おかきさげを読む~

こんにちは。
すがけんです。

今回も「おかきさげ」をもとにして
「成程の人」について理解を深めたいと思います。

今回は特に前回の部分とつながりが深いので、

内々十分睦まじいという一つの理 ~おかきさげを読む~

2018.08.20

をご参照いただけたら幸いです。

前回は内々十分睦まじいという一つの理について理解を深めました。

今回はそれに続く、

「それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。よく聞き取れ。」

「おかきさげ」

この部分で「それ」というのは、この文の前段、前回とりあげた「内々が治まっていること」です。
この「それ」という部分に当てはめて考えると、内々の治まりとは、家庭が治まっているということになり、内々が治まっていることを、世界では成程と評価されると仰せられるのです。

「成程」という言葉を辞書で調べる

大辞林で「成程」という言葉について調べると、

「相手の言葉に同感である気持ちを表す語」

<大辞林>

相手の言葉に同じ感じをいだくことが「成程」と説明されます。

ここでいう相手にあてはまるのは誠の人で、
相手の言葉に「なるほど!!」と同感するのは世界の人となります。
世界というと大げさですが、ここでは周囲の人というぐらいで解釈すればよいと思います。

つまり、繰り返しになりますが、
周囲の人々が、誠の人の言葉に同感であるという状態です。

 

常に誠一つの理で自由自在

それに続いて「常に誠一つの理で自由という」と教えられます。

 

前回、誠については、

①誠とは人をたすける心のこと

②口と心と行いを合わせるということ

③たんのうの心をおさめること

と総括しましたが、これを「常に」と仰せられますので、日々つづけているということです。

実際に口で述べていることを身に行っており、結果として家庭が治まっていれば、これは周囲の人々から少なくとも関心をもってもらうことになります。

ようぼくとして、誠で歩むなかにお道の匂いが身につく、そしてそれが周囲の人に伝わっていく。

この展開がナチュラルに信心の素晴らしさが伝わる流れであると「おかきさげ」で示してくださっているのです。

 

信心は嘘偽りがないこと

信心は、嘘や偽りがないことが肝心と言えます。

信心において、嘘をつくということは誰につくことになるのでしょうか?

誰につくのかと言えば、それは神様につくことになるのです。

神様に嘘をつくことなく通ることができれば、神様には信用していただくことができます。

 

信用とは信じて用いるということ

神様に信じて使ってもらえるなかにこそ、信仰者としての喜びがあり、人間の側からするならば、自由自在の御守護を頂戴することができ、願いが叶うということがいえるのではないでしょうか。

願うことが実現しない、思い通りに人生が歩めないということは、多少の心のストレスになります。
しかし、それが直接的に不幸であるかといえばそうではありません。
その責任の所在が自分にあると分かれば、それで問題はないと思います。

しかし、うまくことが運ばないことを、他人のせいにしたり、物がないことを問題にして、自らのありかたを反省しなければ、おそらく神様の働きようがないのではないでしょうか。

物や人を頼りにせず、神様を頼りにして生きる。

これも信仰者としての心持ちで大切なことであり、自らの人生を力強く進めてくれる力となると思います。

誠は神様からの追い風を頂戴する生き方

繰り返しになりますが、

①人をたすける心を持つこと

②口と心と行いを合わせること

③たんのうの心をおさめること

この三つをしっかり治めて、ようぼくとして神様に喜んでいただきたいですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。