原典について ~『みかぐらうた』はおつとめの地歌、その成立について~

『みかぐらうた』の成立と構成について

『おふでさき』よりも以前にお教えいただいていたのが「おつとめ」であります。そしてこの「おつとめ」の地歌が『みかぐらうた』とお教えいただきます。
『稿本天理教教祖伝』には

「かぐらとてをどりの地歌を合わせた、つとめの地歌の書きものを、みかぐらうたと呼ぶ。」

『稿本天理教教祖伝』72~73頁

と、『みかぐらうた』は「かぐら」の歌と「てをどり」の歌で構成されていると定められています。

「かぐら」とは「神楽面」を着け十人のつとめ人衆よって、ぢばを取り囲んでつとめる「かぐらづとめ」のことで、毎月26日に天理教教会本部でつとめられている月次祭に行われる祭儀を指します。朝夕のつとめでは「かぐらづとめ」の地歌と同じですが、勤め方は異なります。
「てをどり」は、よろづよ八首および十二下りのおつとめのことを指しています。

『みかぐらうた』は、かぐらづとめ(ならびに朝夕のおつとめの部分)を、3つに分けて「あしきをはらうて たすけたまへ てんりわうのみこと」を第一節、
「ちよとはなしかみのいふこときいてくれ あしきのことはいはんでな このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし なむてんりわうのみこと」を第二節、
「あしきをはらうて たすけせきこむ いちれつすまして かんろだい」を第三節と呼びます。
そして「よろづよ八首」を第四節、「十二下り」を第五節と呼んでいます。※「てをどり」の地歌は表記を割愛します。

ちなみに「おつとめ」(『みかぐらうた』全五節)の成立は以下の通りです。

みかぐらうたの成立年代

『みかぐらうた』はおつとめの地歌として慶応2年(1866年)から明治15年(1882年)にかけて、教祖(おやさま)よりお教えいただきます。細かく分けてみますと以下の通りです。

慶応2年秋 第一節の歌と手ぶりを教えられる。※当初「あしきはらひたすけたまへてんりわうのみこと」の歌でした。

慶応3年正月から8月 第五節の歌、その後三ヶ年かけて節付けと手ぶりを教えられる。

明治3年 第四節を教えられる。

明治3年 第二節を教えられる。

明治8年 第三節の歌と手ぶりを教えられる。※当初「あしきはらひたすけたまひいちれつすますかんろだい」と歌っていました。

明治15年  第一節と第三節の手ぶりはそのままながら地歌が変更される。

ん?ちゃんと読んでいる方なら疑問に思うかもしれませんが、
『おふでさき』は1号2号3号と明治2年から成立の順番でつづいていますが、『みかぐらうた』は1号2号と名前はついていませんし、おつくりいただいた順番はそれぞれ違います。

「かぐら・てをどり」について

「おつとめ」の成立については、『おふでさき』に成立の過程が記されています。第四号の74~77にかけて、

つとめても初てをどりまたかぐら
一寸のほそみちつけてあれども   四 74
だん/\とくさがしこりてみちしれす
はやくほんみちつけるもよふを    四 75
にち/\に心いさんでせきこめよ
はやくほんみちつけた事なら     四 76
しんぢつにこのほんみちがついたなら
すへハたのもしよふきづくめや    四 77

『おふでさき』97~98頁

という一連のお歌があります。
「つとめても初てをどりまたかぐら」と記されているのは「おつとめ」(『みかぐらうた』)の成立を示唆するものと思われます。

つまり、

てをどり → かぐら

という順序で教えられたと記されています。
さらに、明治二年に記された『おふでさき』第一号14、15のお歌には、

りうけいがいさみでるよとをもうなら
かぐらつとめやてをとりをせよ    一 14
このたびハはやくてをどりはじめかけ
これがあいずのふしきなるそや   一 15

『おふでさき』6頁

と記され、「かぐらつとめやてをとりをせよ」の後に「このたびハ」とことわったうえで「はやくてをどりはじめかけ」とお促しくださいます。
ここでは慶応三年の「十二下り」をさして「てをどりはじめかけ」と記されているのだと思います。

ちなみに
★明治3年に第二節 ★明治8年に第三節を教えられるので。この『おふでさき』一号が記されたときには、「かぐら」づとめの歌はお教えいただいていません。
さらに、さらに、慶応三年にお教えいただいた十二下りのなかには、

いつもかぐらやてをどりや
すゑではめづらしたすけする   六下り目五ツ

『みかぐらうた』

と、神がめずらしいたすけをするには、「おつとめ」は「かぐら」そして「てをどり」という順番に務めることを示唆しています。

四号の一連のおうたは、「かぐら」と「てをどり」という順番でつとめることを本当の道にでるこことし、そしてその準備をせよと仰せられています。

しかし、このお歌が記された段階では、いまだ「ほそみち」の状態で、道があるのかどうかわからない程度と仰せられるのです。
だから、こころ勇んでつとめの完成へ向けて通ってもらいたいと、神様の方から急いておられるように感じとれます。

 

ここで得た学びは、

あたりまえのことですが、
わたしたちは「おつとめ」をつとめることができます。

わたしたちがつとめさせていただける「おつとめ」は、まさに『おふでさき』に示された「ほんみち」の形に整っていると言えます。

しかし、現実のわたしたちの目の前には「みち」が見えているでしょうか。雑木林のようになってはいないでしょうか。

細道とは雑草がむらがって道があるのかどうかわからない状態を意味する言葉です。
道がどこにあるか分からないようにならないためには、まずは道を歩むことが大切であります。

今、自分の目の前に道が見えなければ、道を求め、そして実地に道を歩ませてもらうことが大切だと私は思います☆

さあ、ともに教えを学んで、より良い生活を過ごしてみませんか~☆