原典について ~『おふでさき』公刊までの道~

公刊までの道のり

教祖(おやさま)がお残しになられた『おふでさき』ですが、
私たちの目にふれるようになるのは、教祖が執筆され始めてから約60年たってからになります。

明治16年のふし

ここまで公刊するまでに時間がかかってしまったのには、明治16年の出来事がきっかけであったと言われています。

明治16年(1883年)3月、おやしきで、鴻田忠三郎という人が『おふでさき』を映していました。
当時、信仰していた人々はみんなおやしきで『おふでさき』をうつして、写本というものが作られていました。

ところが。このとき『おふでさき』をうつしていたところに、巡査がやってきて、「なにをしているのか!」ということになったです。当時は官憲の弾圧が厳しく、日に数度もおやしきは巡査が見回りにきていました。そのときの様子は教祖伝に以下のように記されています。

私はこの家と懇意の者で、かね/\老母の書かれたものがあると聞いて居りました。農事通信委員でもありますから、その中に、良い事が書いてあらば、その筋へ上申しようと、借りて写して居ります。と答えた。

『稿本天理教教祖伝』252頁

当時、農事通信委員という立場であったので、良いことが書いてあれば、上の立場の人へ申し上げようと思いうつしておりました。と答えられています。

それで、戸主はいるか!ということになりますが、その時、戸主(中山眞之亮)は出かけており留守でした。その旨を伝えると、巡査は「戸主が帰ったら、この本と手続書とを持参して警察へ出頭せよ」と伝えてひきあげていきました。その時の様子は、

其際 巡廻之御方ヨリ 右天輪王ニ属スル書類ハ 焼可捨様御達ニ依り 私仝居罷有候 飯降伊蔵妻さとナル者 右忠三郎披見ノ書類 即時 焼捨申候義ニ御座候

『稿本天理教教祖伝』254頁

このときの手続書では、「同居人である飯降伊蔵妻さとというものが、巡回の方が書類は焼き捨てろと仰ったので即時に焼きました。」という内容の手続書を提出されています。

しかし、表向きには焼却処分をしてしまったということになってはいましたが、『おふでさき』は没収されず、おやしきでは残したことは秘密にして、秘匿していたのです。

つまり、明治16年以降「おふでさき」は

世間的には → 焼却処分
  実際には → 隠れて保管

昭和3年ついに公刊!!!

明治16年の事柄があったので、初代真柱様である中山眞之介様は公刊に踏み切れなかったのではないでしょうか。その後、幾多の変遷をへて『おふでさき』が公刊されるのは昭和3年となりました。
このとき、最初に公刊された『おふでさき』は五分冊で発刊されています。
編纂者は天理教教義及史料集成部、発行者は中山正善となっています。

ここにきて発刊にいたった歴史的な経緯

昭和3年10月、教会長を対象におふでさき講習会が五日間にわたって開催され、おふでさきの内容について徹底して講習が行われたようです。その席上、教義及史料集成部主任であった松村吉太郎は

間違つた解釈をせられて、今日迄本教は随分迷惑を蒙つたのであります。それで今回は歴史的事実を詳しく調査すると共に、成るだけ確定的な解釈を与えなければならぬと云ふので、殆んど埋つてゐた事実などを調べた上、大体に於て完成に近い、肯定解釈を得たのであります。

『みちのとも』昭和3年11月20日号14頁

と、それぞれの悟りなども入り、大きな誤解を生むようなできごともあったことにも触れておられます。また、不完全なかたちで写された『おふでさき』が横行していたことも要因といえます。
実際、この五分冊の『おふでさき』には「脚注」がふされており、誤った解釈のないようにとの配慮がうかがわれます。

当時の「脚注」は現在の註釈となっています。※多少の改定はあります。

「脚注」は「『おふでさき付註釈』道友社」で見ることができます。

 

まとめ

明治16年のふしがあってのち、初代真柱様がみずからの口で焼却したと公言し、手続書を提出したものを自らの手で公刊するということは、弾圧の厳しい時代のなかではそれはとても困難であったことは想像に難しくありません。

そんな困難な道を通るなかでも、ごく少数の信者は熱心な人が写した写本をうつして、神様の思召をもとめていたのです。しかし、人から人へと『おふでさき』が伝わっていく過程で、誤った記述、さらには理を外した解釈が横行するようになっていった。

そこで、本部として『おふでさき』を公刊し、そのなかで『おふでさき』の解釈を併せることで神様の思召に近づいてもらおうと公刊に至ったのでした。

 

ここで得た学びは、

『おふでさき』は、明治16年のふしで公刊が遅れることになった。
『おふでさき』の註釈は我々が誤った理解に陥らないように残してくださった「おふでさき」解釈の道しるべ。

『おふでさき』を執筆された目的と同様、
常に謙虚な心をもって自らを省みる姿勢こそ、『おふでさき』を通してお教えいただいている心持ちではないかと思わせていただきます。

さあ、ともに教えを学んで、より良い生活を過ごしてみませんか~☆