原典について ~「おさしづ」とは~

原典シリーズが続いていますが、
読者のなかには少し面白くないと感じておられる方も多いのではないでしょうか。私としては、早く終えさせていただきたいと思ってはいます。はい!ホントです。

しかし、
皆さんは原典である「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」の一節を、教会のお話や講習会などで耳にしていると思いますが、実は「何」かよく知りませんという方はおられませんでしょうか?
講話などで使われる言葉が、神様の言葉であることが明らかになるだけで、言葉の受けとめかたは必ず変わるはずです。

私たちの信仰は教えを信じることから始まります。
何を語っているのかを理解することでお話の受けかたが変わり、また一段と力強く信仰の歩みを進めることができるのではないでしょうか。
そういう意味で、このシリーズは意味があると思って頑張っているわけでございます。

では、今回から「おさしづ」についてすすめていきます。

『おさしづ』は原典

『おさしづ』は『おふでさき』『みかぐらうた』と同様に、天理教のなかでは原典と位置付けられています。原典とは、神様によって示された天理教の教えの元になっている書物のことを意味します。※「原典」について詳しくは以下のボタンへ

「原典」について ~「教典」と「原典」の位置づけ~

2017.06.03

原典は、教祖(おやさま)中山みき様を神様の「やしろ」と定められ、人間をたすけたいとの思いと、人間のたすかる道筋を示されたものです。
神の「やしろ」である教祖のお言葉は、全て神様の教えに他なりません。また教祖が行為として教え導かれた事柄は「ひながた」として信仰者の生きる手本として仰ぎみられています。
天理教の信仰は、この原典と教祖のひながたを信じて身に行っていくこととお教えいただきます。

「おさしづ」とは神様の指図

そのなかでも「おさしづ」とは、広い意味からいうと教祖によって語り述べられたお言葉のことを意味します。そして原典として、もう少し限定していうならば、神様のお言葉を筆によって記録し天理教教会本部において編集し刊行した七巻本(現行)の内容になります。


※おさしづ7巻本

教会の講話で「おさしづに~〇〇〇〇とありますが~」と引用される「おさしづ」は、そのほとんどが書物として残された『おさしづ』からの引用ということになります。案外、この点を知らない方は多いのではないでしょうか?

『おさしづ』の内容

『おさしづ』の内容は、明治20年(1887)1月4日から明治40年(1907)6月9日にわたって神様から伝えられたお言葉を筆録したものです。

ここで一つの問題があります。
この「おさしづ」は教祖によって語り教えられてきた神の言葉でありますが、『おさしづ』は教祖からの直接のお言葉というよりも、そのほとんどが飯降伊蔵先生の御口からでたものです。教祖の直接のお言葉は明治20年の初め頃に少し見出されるだけとなります。

もちろん、教祖による直接の「おさしづ」がなかったからではなく、天保九年から教祖によって語り伝えられてきたものはすべて神様のお言葉であり「おさしづ」なのですが、それにも関わらずそれが原典化されていないのは、間違えない形で書き遺されたものがほとんど見出されないからといえます。

伝えられるところによると、

①教祖御在世当時は、いつ神様のお話があるかわからない。
教祖が語られるのは秋の農事の忙しい折などによくあったと伝えられます。熱心な人々はお話を一言でも聞かせていただきたいと思い、自分の仕事を止めてでも、お屋敷に足を運んだといわれます。

②真剣に聞くあまり、筆記できなかったのではないか。
教祖のお言葉を聞いた人々は、真剣にそれを心に治めはしたものの、書き取っておくというようなことはしなかったようです。これは教祖に直接お聞かせいただくお話に感激し、筆録するというような冷静さがなかったのではないかと推測します。

神様のお言葉は口から口へ、胸から胸へと伝えられ、人々の心の中に生きて現在まで伝えられてきました。口伝(くでん)で伝えられたお話は信仰の糧として味わわせていただくことができる素晴らしい内容といえます。
しかし、原典として正統化されていない伝承されてきたお話は、その確実さをどこまで保証できるかということが問題とも言えます。言いかえれば原典化されたものは最も確実なところをおさえたということなのです。

今回の学びは、

・原典となっている『おふでさき』『みかぐらうた』『おさしづ』は伝承として残されてきたお話(口伝)よりも確実性が高いといえる。

だからといって、口伝で残されてきたお話は信じられないというわけではありません。
神様によっておつくりいただいた確実性が高い原典を主にして、口伝や先人のお話を読み深めるという順序が大切であると言いたいのです。
口伝で残されたお話は原典で示される教えに奥行きをもたらし、私たちが教えを理解するうえでとても効果的ではあります。しかし、教えの芯は原典であるということは忘れてはいけません。

天理教の教えの骨格は教典であります。そして、その教典は原典をもとにして編纂されました。ですから、私たちの信仰はつきつめるところ、この原典で示されるところを信じて身に行っていくことになるのです。

原典が私たちの手にわたるように御苦心してくださった先輩方に感謝し、今日も原典を開くことから一日の喜びをスタートしていきたいと思います。

さあ、ともに教えを学んで、より良い生活を過ごしてみませんか~☆