天理教教会本部の南門解体について
みなさん。こんにちは。すがけんです。 いつもブログをお読みいただきありがとうございます。 今年は一週間に一回の更新をさせていただこうと心に決めて努力しております。もし続かなかったらすいません。末永く気長にお付き合いくださ…
みなさん。こんにちは。すがけんです。 いつもブログをお読みいただきありがとうございます。 今年は一週間に一回の更新をさせていただこうと心に決めて努力しております。もし続かなかったらすいません。末永く気長にお付き合いくださ…
みなさん。こんにちは。すがけんです。 前回の投稿 は、思いがけないシェアもありまして、なんと!1000人以上!(1月28日までに)の方に閲覧していただけたようです。 読者の皆様ありがとうございました。 これからも当ブログ…
なんだか論文のようなタイトルになっちゃいましたけど、 もう少し、本席について勉強したいと思います。 飯降伊蔵先生が本席という立場に立たれた経緯については以下を参照してください、 今回はもう少し本席という立場について学ばせ…
お道における最初のふしんに際して起こった「大和神社のふし」についてふれたいと思います。 まずは『稿本天理教教祖伝』では以下のように記されています。 稿本天理教教祖伝 第四章つとめ場所 元治元年六月二十五日、飯降伊蔵が、初…
前回、飯降伊蔵先生が「本席」という立場に立たれた所以は、おやしきに伏せ込まれたことを神様はお受け取りになったからということが明らかになりました。 ※詳しくは以下参照 そこで今回は、 伏せ込みについて、飯降伊蔵先生は入信か…
これまで「おさしづ」については、教祖の御口を通して示された神様の言葉であると述べてきました。しかし「おさしづ」全七巻に収められている神様のお言葉のほとんどは、飯降伊蔵先生のお口からでたお言葉です。 ※飯降伊蔵先生 肖像画…
立教の目的 天保9年(1838年)10月26日(陰暦)に天理教は始まりました。 そして現在、教えが始まって180年たち、教えが始まった紀元※として「立教」という言葉を採用しています。だから、私たちは立教180年といいます…
教祖は誠であった 誠について 宮森与三郎という先人は、 「誠というものは心と口と行いと三つそろはにゃ誠や御座いません、誠の話をするくらひの人は世界を探してごらん、竹杷(さらい)でかき集めるほどある、いくら誠なことを言うて…
先人の先生もひながたが大切と語っている 教祖(おやさま)のひながたを学ぶ上で欠かすことができないのは『稿本天理教教祖伝』と『稿本天理教教祖伝逸話篇』であることは以前に触れましたが、 今回のすがけんの天理教のみかたでは、教…
ひながたのはじまり 二十年三十年経ったなれば、、、 天保九年(1838年)、教祖(おやさま)は四十一歳で「月日のやしろ」※とお定まりくださいました。 ※月日のやしろとは、神様が入り込んで思召を伝える立場を意味し、教祖の立…