2017年

飯降伊蔵が本席になった決め手

教祖がお姿をお隠しになったとき 明治20年(1887)陰暦正月26日、教祖(おやさま)が現身をかくされたときの模様は『稿本天理教教祖伝』※にこのように記されています。 ※稿本天理教教祖伝については以下を参照してください。…

原典について ~『おさしづ』と本席について~

これまで「おさしづ」については、教祖の御口を通して示された神様の言葉であると述べてきました。しかし「おさしづ」全七巻に収められている神様のお言葉のほとんどは、飯降伊蔵先生のお口からでたお言葉です。 ※飯降伊蔵先生 肖像画…

原典について ~『おさしづ』成立の経緯~

前回から引き続いて「おさしづ」について学ばせていただきます。 「おさしづ」は書き取ることを求められた。 「おさしづ」は教祖(おやさま)が現身を隠された後、本席になられた飯降伊蔵先生が取り次がれるようになられます。そして飯…

原典について ~「おさしづ」とは~

原典シリーズが続いていますが、 読者のなかには少し面白くないと感じておられる方も多いのではないでしょうか。私としては、早く終えさせていただきたいと思ってはいます。はい!ホントです。 しかし、 皆さんは原典である「おふでさ…

「おつとめ」について ~明治3年から明治15年~

前回に引き続き「みかぐらうた」をとりあげながら、教祖(おやさま)がどのようにして「おつとめ」をお教えくだされたのかをみていくことにします。今回は明治3年から15年までの時代をみつめたいと思います。 明治3年「ちよとはなし…

「おつとめ」について ~初期のおつとめから第一節「あしきはらひ」まで~

「みかぐらうた」は教祖が自らおつくりになられたもので、世界中の人間をたすける道として教えられた「おつとめ」の地歌です。 今回は「みかぐらうた」をとりあげながら、教祖がどのようにして「おつとめ」をお教えくだされたのかをみて…

原典について ~『おふでさき』公刊までの道~

公刊までの道のり 教祖(おやさま)がお残しになられた『おふでさき』ですが、 私たちの目にふれるようになるのは、教祖が執筆され始めてから約60年たってからになります。 明治16年のふし ここまで公刊するまでに時間がかかって…