内々十分睦まじいという一つの理 ~おかきさげを読む~

みなさんこんにちは。
すがけんです。

皆さんは「一家の治まり」と聞いて、どのような家庭を想像されるでしょうか。
おそらく、各々で思い描く家庭像には違いがあるかと思いますが、今回のテーマは、ずばり「一家の治まり」についてです。

いつも通り「おかきさげ」をもとにして考えていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

「おかきさげ」シリーズも今回で第九弾ですね。ながい…

今回、取り上げる部分は

「又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まるという。」

「おかきさげ」

という部分です。

 

誠のポイントまとめ

これまでに誠について再々述べてきましたが、簡単にまとめると、

①誠とは人をたすける心のこと

②口と心と行いを合わせるということ

二つを治めることが誠でしたね。

※以前の投稿は以下を参照してください。

これまでの「おかきさげ」について

シンプルにいうと、誠とは

人のたすかるように言葉を出す
人がたすかるように心を配る
人がたすかるように行動する

人が敬遠する仕事をひきうけたり
人が喜べないようなことに喜びをみつけてみたり
人の難渋を手助けさせていただく心が誠と仰せられます。

 

たんのうは誠

また、たんのうは誠ともお教えいただきます。

「たんのうより受け取るものは無い。たんのうは誠。誠は天の理や。天の理なら誠より偉いものは無いで。この理をよく悟ってくれ。」

「おさしづ」(明治二十三年五月十三日 扇ゑん身上願)

とお諭しいただきます。

たんのうは、成ってくることに満足という心を治めることです。
たんのうすることも、誠であるとお教えいただくのです。

 

誠によって一家が治まる

この誠を治めて通ることによって、内々は十分に睦まじく治まっていくとお教えいただくのです。

「内々十分睦まじい」とは、一家が治まっているという意味と思われます。

それとは誠とは反対に、人には嫌なことをさせ、自分は楽なことをしていたり、不足に不足を重ねるような心で過ごしていては、内々は治まることなく、波風のたえない家庭となってしまいます。

親子も夫婦も兄弟も一人ひとり心はちがう

血がつながっていても、つながっていなくても、家族の心が一つになることはとても大変なことです。

「をやこでもふう/\のなかもきよたいも みなめへ/\に心ちがうで」

「おふでさき」5-8

と仰せられるように、
一つ屋根の下に暮らす者であっても、一人ひとり心というものがございます。親子でも、血を分けた同じ兄弟でも、みなそれぞれに心は違うと仰せられます。

心の違う者がそれぞれに相手の心を思いやり、
お与えいただく徳分で補いあって過ごす。
そうすることによって、
一人ひとりが生きがいをもって生きることができるのではないでしょうか。

人の心を変えようとしても、自分の思い通りにはいきません。
人を思う誠の心によって、内々が治まるとお教えいただきます。

 

治める順序

教祖のひながたも、

「このさきハうちをおさめるもよふだて 神のほふにハ心せきこむ」

「おふでさき」1-58

まず、内を治めることから始められました。

内を治めること。これは、

①自らの心(誠)を治めること

そして、

②誠を治めることにより、家庭が治まる。

この両方の意味が含まれているのではないかと思います。

そして次回に取り上げる「成程の理」に繋がっていくのですが、、、

展開としては

①自らの心(誠)を治めること

②誠を治めることにより、家庭が治まる。

③周囲の人に成程と感心してもらえる

この内々が治まることによって、その治まった理が周囲に広がっていくとお教えいただくのです。

 

 

しかし、、、

現実には親しい間柄なだけに、いったん関係がもつれてしまうと、ほどくのは他人よりも難しいものです。

ですが、神様の仰せでは、自らが誠で歩む中に内々は治まっていくとお教えくださいます。
では、具体的にどのようにして誠を家庭においてあらわしていくのか

 

家族団らん食事によって信仰をつたえる

「家庭」を考えたとき、家族と共に食事をとることが大切であると私は考えます。

母親から生まれてすぐは、食事の準備をすることは誰一人としてできません。
準備はおろかご飯を口に運ぶまでも、人のお世話にならないと食事はできないのです。
つまり、全ての人が誰かと食事をしていたという経験があるのです。

家族と食事をすることができる。
これも今ではなかなか容易にできなくなりつつありますが、、、

それはさておき、
食事をとるということは体を養うだけでなく、
心を養う大事な場所であると思います。

いただきますと、ごちそうさまでした。

「いただきます」「ごちそうさまでした」

これらの言葉は、料理を作ってくださった人に対する感謝の言葉であると共に、神様のお働きのなかで、食事を頂戴することができた感謝の言葉であるとも言えます。

 

感謝の言葉とお礼の言葉を述べて食事をする

それによって、食事は美味しくいただけます。
そして体も大きくなり、心も育つ。

そしてなりよりも、生かされていきているという「かしもの・かりもの」の世界に生きることができるのです。

食事をすることを通して、
生きるこころの糧を身につける。
すると、一家は自然と治まっていくはずです。

食事をとるということを通して、心を通わし信仰を写していく。
あたりまえのことかもしれませんが、これは誠の具体的な姿ではないかと私は思います。

 

最後までお読みいただきましてありがとうございました。