ひながたとは

ひながたとおやさま

天理教では、教えを最初にお伝えくだされたおかたを、教祖と書いて「おやさま」とお呼びしております。
教祖は「中山みき」というお名前です。

天保9年(1838年)10月26日より、言葉や筆で書いたものを通して、天理王命(てんりおうのみこと)の教えを伝えると共に、自らの身をもって、人類の生きる目的である「陽気ぐらし」の生き方をお示しくださいました。

この自らの身をもって通られた道を「ひながた」と言います。

ひながたと私の出会い

すこし話はそれますが、、、
大学時代の私は、あまり「ひながた」というものが好きではありませんでした。
その時の私は「こんな昔のことを勉強して何になるのかな?」って思っていました。
その程度の理解しかなかったのです。

そんな未熟な私が学生会の活動中に「天理教のひながたが大切だよ~」と聞かせていただいて、初めて手に取った『稿本天理教教祖伝』は、最後まで読むことができせんでした。

そして「短い話がたくさん収められている逸話篇が読みやすいよ~」と薦められ購入した『稿本天理教教祖伝逸話篇』も一通り読みはしてみましたが、よく理解できず、本棚の片隅に並ぶようになってしまいました。

当時、そんなに熱心じゃなかったということでしょうか。
読む「目的」が分からなかったんだと思います。
そんな私ですが、
10年後に「ひながた」について書いているのだから驚きであります。

ではどのようなキッカケで学ぶようになったのか。

ひながたと魅力的な人の関係

「ひながた」について興味を持つようになったのは、魅力的な先輩が熱っぽく教祖について語ってくれたことから始まります。

教祖は神様の思いに沿って人をたすける道を歩まれ、様々な苦労のなかも心明るくお通りになられました。真実のかぎりをつくし、お住まいであったおやしきへ寄り来る人々を育て、おつとめの完成とおさづけの徹底をもって、この世界が陽気ぐらし世界へと立てかわるようお導きくださいました。どんな難しい苦労の中でも陽気に通られた教祖は、全ての人間にとってのひながたであります。教祖のお歩みになられた道を学ばせていただくことによって、天理教は何を世界に伝えようとするのかが明らかとなり、また信仰する者としてどのように歩むのかが明らかになる。と先輩は語りました。

先輩は私から見ると難しい人生のなかを、明るく過ごしておられました。
その生きかたに私は心を揺さぶられました。
先輩は難しい困難ななかで、喜びをつかんで生きることを教祖のひながたを実行することで、困難なことのなかに喜びを生み出す歩みを進めておられたのです。

魅力的な人がただ信仰をしていたのではなく、
おやさまが歩まれた道をもとめて実行していたから魅力的だと先輩の話を聞いて思ったのです。

信仰は教えを信じること

「信仰は教えを信じること」とお聞かせいただきます。

『教祖伝』も『逸話篇』も、自らが歩むために読み始めると、あらあら不思議、最後まで読めるようになったのです。
最後まで読むことは「目的」ではありませんが、
『教祖伝』や『逸話篇』を読むことは、ひながたを歩むという目的のための手段と考えることが大切だと私は思いました。

このように考えると、
教えを学ぶことは信仰の入口であり、
教えを学ばなければ、信仰が始まらないと私は考えます。

まとめ

「信仰の出発は教えを学ぶことから始まる」

先輩との出会いから、私は教えを学びはじめました。
教えを学び、自らの信仰方向を学ぶことは信仰のはじまりです。

共に教えを学んで陽気にくらす歩みをはじめてみませんか?