「おふでさきの目的」
『おふでさき』は明治2年(1869)から明治15年に、教祖(おやさま)が72才から85才にわたって、自らで筆を持ちお書きくださった書物です。
これはもともと17冊に分けて綴られていたわけですが、現在では17号の『おふでさき』と呼ばれ、全1711首のお歌で構成され一冊に纏められています。
この『おふでさき』はどのような書物なのか?それについては1号21~23首目のおうたに記されています。
このよふハりいでせめたるせかいなり
なにかよろづを歌のりでせめ 一 21せめるとててざしするでハないほどに
くちでもゆハんふでさきのせめ 一 22なにもかもちがハん事ハよけれども
ちがいあるなら歌でしらする 一 23『おふでさき』1号21~23
『おふでさき』は五・七・五・七・七という三十一文字のうたのかたちで、「理」についてお示しくださいます。
そして、てざしするのでもなく口でああしなさい、こうしなさいというのでもない、ふでさきのせめとしてお残しくださいました。
もっと簡単に言うなら、神様の思いを歌の形で分かりやすく、間違ってるところだけ歌でしらせると仰せられているのです。
『おふでさき』について、「おさしづ」では、
これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。ふでさきというは、軽いようで重い。軽い心持ってはいけん。話の台であろう。取り違いありてはならん。
『おさしづ』明治37年8月23日
「おふでさき」については、忘れるから知らし置いた。つまり書き残したと仰せられ、さらに、「軽いようで重い」と『おふでさき』の大切さを説いたうえで、「話の台」であるとも教えていただきます。
まとめ
「なにもかもちがハん事ハよけれども ちがいあるなら歌でしらする」(一 23)と仰せられれるように、人間が間違わないように、さらには「これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。」(明治37年8月23日)と仰せられるように、忘れたりするから書いて残こされた。
それが『おふでさき』を残された主たる目的ということです。
つまり、『おふでさき』は、信仰の指針をただす目的に記されたということ。
人間は間違えたり忘れたりします。そのことを神様は配慮して書き残されたのです。
ここで得た学びは、
『おふでさき』は、自らをただすという心をもって拝読すること。
それが『おふでさき』をお残しになられた神様のお心に適うことになるのです。
ぼーっと拝読するのではなく、
常々に自らをただすという気持ちで拝読させていただきたいですね。
はい。
さあ、ともに教えを学んで、より良い生活を過ごしてみませんか☆